信州と私
私が初めて信州に訪れたのは中学校の修学旅行だった。八ヶ岳、霧ヶ峰、白樺湖、浅間鬼押出し、白根山、善光寺と南北に長野を掛け巡り、信州の自然を直接肌で感じた旅行であった。4年後、信州大学に入学することとなった。初めて松本に来たときには、ピラミッドのようにそびえる常念岳が印象的だったが、まさか3ヶ月後にその山に登るようになるとは思っていなかった。大学では信濃路研究会に所属し山とスキーに好きに明け暮れた。春には、安曇野めぐりで、穂高の禄山美術館へ行き、安曇野の大王わさび園に行った。安曇野から見た常念岳はさらに大きく、信州の自然のシンボルだと感じた。
6月には、上高地ウエストン祭に参加するため、島々から徳本峠を越えて初めて上高地に入った。徳本峠の登りは最後1kmが急で壁のように思えた。徳本峠からの穂高の山々は小さく見えたが、上高地の小梨平キャンプ場から見ると眼前は全て穂高となりその存在感に圧倒された。その時もまた、3ヵ月後に穂高に登ることになるとは思っていなかった。翌日は新中尾峠へ登り、近くから噴煙を上げる焼岳を見た。大正池からの穂高を名残惜げに眺めつつ松本に戻って行った。
7月からはサークルのグループ登山で北アルプスの主だった山を訪れた。表銀座縦走、常念山脈縦走、後立山縦走、穂高岳山行・・・山の登りは苦しかったが、山頂から素晴らしい景色が見えると苦しみも消えていった。満天の星空と天の川、雲海からのご来光、山の素晴らしさは山で過ごさないとわからない。自然の大きさを感じ、山の上から街を見下ろせば、人間社会は外界のちっぽけなものと思えた。しかし山にいつまでもいられる訳でもなく、現実の世界に戻らなければならなかった。
大学2年目になると単独行をした。初めは表銀座コース、次に裏銀座コースから大キレット越え、ダイヤモンドコースから雲ノ平、北穂高から西穂高に至る穂高岳縦走コースへと時間があれば山で過ごしていた。夏山であれば独りで何処でも登るものだと思うようになった。大学3年目、5月の連休に大滝山に登った。三郷村小倉から鍋冠山、大滝山を経て、上高地へ、その先飛騨へと至る道は嘗て飛騨新道と呼ばれていたがそのコースを歩いてみようと思った。小倉までバスで行き、翌日、山麓から三郷スカイラインを歩いて登って行った。鍋冠山までは楽に登れたが、鍋冠山から大滝山までは苦難の道であった。登れるものだと過信していたのが間違いだった。登るのに時間が掛かり過ぎていた。午後4時頃、引き返すかビバークするか迷いつつも登り、森林限界の林を登り抜けると最後に巨大な雪の白い壁がそびえていた。登り切れるのか、絶望感、悲壮感が漂ったが、もう引き返せない。登るしかない。幸い誰かの踏み跡があった。体は疲れていたが、足跡に導かれるように少しずつ白い壁を登りきった。大滝山荘に着きテントを張ったのは午後6時頃、現実感のない白く霞んだ世界だった。寒さは感じなかった。天気が悪くなっていたら遭難していたかもしれない。神に生かされたように感じた。何かを成す為に生かされているのだと… 翌日の蝶ヶ岳までの道は快晴だった。アイゼンを履き、ピッケルを持ち、まぶしい雪山を登って行った。槍や穂高がどう見えたか憶えていないが、生きる何かを得て還って来たと思う。"生きてる時は今" なのだと。
(更科医師会報第15号)