時よ止まれ
マーリンズのイチロー外野手が2016年6月15日のパドレス戦で日米通算4257安打目をマークし、ギネス世界記録として認定されました。そして、2016年8月7日、ついにイチローは米大リーグ通算3000本安打を達成しました。いつまでイチロー選手は素晴らしいパフォーマンスを発揮し続けるのでしょうか?イチロー選手は日常生活、練習の一日の全ての行動をルーチン化しています。そして、自分の体に起こる僅かな違和感に気付くことができるため、直ぐに調整することで常にベストな状態でプレーできるとのことです。米大リーグ野手最年長42歳にして鮮やかに活躍できるのは不断の自己管理の賜のようです。
さて、一流の人間は常に引き際は鮮やかなものであるという「引き際の美学」があります。2012年12月28日、松井秀喜選手は日米通算507本塁打を放った20年間のプロ生活に幕を下ろしています。引退会見で「この体では日本に帰っても“巨人の4番を張った”姿を見せられない。かえって日本のファンに失礼だ」と語り、潔く引退しています。アスリートに対しては何時までも最高のパフォーマンスを期待したいところですが、旬の時が過ぎれば下り坂になるのは残念ながらやむを得ないことです。さて我々医師の引き際はいかがなものでしょうか?
聖路加国際病院の日野原重明先生は100歳を過ぎても現役医師として活躍されています。「自分には使命がある」と毎日を大切に生きていけば、それが生き甲斐になるというのが日野原先生の持論で、少なくとも110歳まで現役を続けていくことを目標とされています。“100歳現役”を達成されたことはイチローの米大リーグ通算3000本安打に匹敵する日野原先生の金字塔だと思います。医師は他の職業と違い、仕事する上での年齢制限はなく、自分の引退時期は自分で決めることができる恵まれた立場にあります。しかし、適切な引退時期を決めることは難しいことだと思います。
引退は内科医と外科医では段階が異なると思われます。外科医は、アスリートと同様に、身体的能力の限界を自覚し、手術でベストが尽くせなくなった時が、メスを置くタイミングになると思われます。しかし、外科医としては現役引退しても、一般医として医業を続けていくことができますので、一般に外科医は2度引退する事になるかと思われます。一方、内科医は芸人と同様に人気(需要)があれば仕事を生涯続けていくことが可能です。話術が生命線の噺家と同様に体力・気力・技量があれば、日野原先生のように何時までも診療を続けることができるかもしれません。
医療情報サイトm3の「何歳まで現役で仕事を続ける?」の調査(2016年8月)によると、開業医では「70歳」(28%)、「75歳」(29%)で合わせて57%を占めていました。勤務医でも「70歳」(28%)が最多で、「75歳」(22%)を合わせると半数でした。健康寿命に相当する70〜75歳での引退が約半数で、働ける間は働きたいとの意志を反映しているのかもしれません。ところが、「医者の不養生」の言葉があるように、自らの健康管理には無頓着になりがちであったり、また当直・緊急呼び出し等の不規則な勤務から健康を害したりしたりすることなどから、一般的に医師の寿命は短く、平均寿命は68歳~73歳とされています。欧米の医師は60代になればハッピーリタイアメントを迎えて悠々自適の人生を送ることが多いとのことですが、日本の医師は仕事に生き甲斐を感じ、結果的に生涯現役を貫くことが多くなるようです。
開業医の場合、長く地域で患者さんを診ていれば診ているほど、地域に対する社会的責任も大きくなるため、引退のタイミングが難しくなると思われます。後継者、継承者がいれば第一線を退くことは比較的容易かもしれません。しかし、継承者がいない場合、閉院となれば患者さんに迷惑をかけるため、体力と臨床能力が維持できる限り診療を続けていかざるを得ません。私自身は、70代になれば、仕事を半分位に軽くしてセミリタイアとし、体力・気力が続かなくなれば引退し、第二の人生を過ごすのが良いかと思っています。しかし、一方、引退して全く仕事をしなければ人生の充実感がなくなり、また頭を使わなくなることで認知症になるリスクもあると思われるため、できるだけ長く医療には従事していたいと考えたりしています。
「明日のジョー」のように真っ白に燃え尽きて灰になるように、格好が良く生涯現役を貫くことができれば理想的かもしれませんが、真に充実した人生を送ることができているならば、何時引退しても悔いはないものかもしれません。最高の環境で、最高のメンバーと一緒に最高の仕事ができることは、人生の中で一瞬しかないことです。人生の最高の時間は流れ星の一瞬の輝きのようなものでしょう。ファウスト博士のように、「時よ止まれ、汝は美しい(Verweile doch, du bist so schön!)」と言うことが出来れば、何時引退してもよいと思える幸せな医師の人生と言えるのかもしれません。
(長野医報:2016年11月号)